2014年07月19日
沖ノ島へ

中一時代を過ごした沖ノ島(母島)、いつか子供たちと訪ねたいとずっと思っていました。
今回の連休に長女母子が帰省する事となり、『沖ノ島で釣りがしたい』との事。
片島港からの定期船は一日二便あり、充分日帰りが出来そうです。
子供たちは海で遊び、ババは妹背山へ・・・なかなか充実のプランでは?

高速道延伸のお蔭で、高知〜宿毛間もずい分近くなりました。
ただ少々強行軍、深夜に兵庫県から帰って来た母子は、少しばかりの仮眠で3時半に高知市内を出発です。

定期船すくもは、小さいながらもまだ新しくてきれいです。
清潔な白いカバーのかかった椅子も快適ですが、外の眺めも楽しみたい。
船底にうずくまり酔って難儀した50年前とは大違い・・・今の孫の年齢やったのだわ・・・。
時折小雨もパラつくお天気なのが残念です。
真っ青な海と空を見せたかったなぁ。

 片島港 出航です  

沖ノ島には、高校生の時にスケッチ旅行という名目で一度来ていますが、あんまり覚えていません。
(美術部だったんですよ〜体育系とは無縁でした)
船からすぐ下に見る黒潮が、ほんとに黒かった事は強く印象に残っています。

いよいよ母島港に到着。懐かしさで胸がいっぱいです〜。
変わっていません・・・変わったのは車があって、車道が出来てる位でしょうか。

 沖ノ島が見えて来ました  懐かしい!!母島港

同級生のS旅館の息子さん(今はご主人)もほら、そこに立っています。
『こんにちは〜○○(旧姓)です』思い出してくれました。
『レンタカーなんて無いよね?』(あるわけないでしょう!)
手押し車を使っていいって言ってくれましたが・・・ウ〜〜ン、石段か坂道ばっかりだしねぇ。

とりあえず孫と二女とは電動機付自転車を借り(3台あります)散策、長女は難民のごとくカート(自分の)で荷物を引っぱって岸壁へ、ババは妹背山へとそれぞれ別れます。

宿毛市営定期船すくも まだ新しくてきれいです  住んでいた場所 

集落の石段をひと登りした所に、かつての小学校。
周辺には保育園、駐在さんの住宅、そして私たちが住んでいた住宅がありましたが・・・。
私たちが住んでいた家はもう、跡形もありませんでした。
突先にあって、風当たりがすごかったですからね・・・。
担任の先生が住んでいた手前の家は、かろうじて形をとどめていました・・・。

旧小学校(当時は平屋) 手前広場に保育園そして住居   現在は高台にある小中学校・保育園

HPのレポや県別の本で見て、登山口は学校の裏手から、って分かっているのですが、足は勝手にかつて歩いた旧小学校下〜日吉神社から旧中学校へと続く道の方に向かいます〜。

懐かしい・・・あの頃の母島集落からの生徒は皆、お昼ごはんを食べに家に帰っていました。
一日2回、石段を登り降りしていたのです。
父が行水していた谷は、堰堤が幾重にも出来ていて、かつての面影はありませんでした。
そこへ通りかかった宅配便の配達の人に、念のため妹背山登山口を確認します。
『この日吉神社から上に行くと県道に出るから、そこを左に進む。一人かえ?気を付けて行きよ』
と優しい言葉。
県道まで登ると、旧中学校へと続く石段はもう通る人もいないのでしょうね〜草木が生い茂り、とても歩けそうにはありません。
ここで左、なのに足は右へと・・・。

私の記憶の妹背山は、中学校校庭からの道でした。
大きな岩がいくつもある展望の良い斜面を登って行きました。
あの道から登りたい・・・50年も前ですからねーーもうその道は無いのでしょうね。

いい加減引き返さなくては・・・と思っていた所へ、先ほどの宅配便の人がまた通りかかって、現在の登山口まで乗せて行ってくれました。
ありがたいです!
『ハメ(毒ヘビ)がおるけんね、気を付けて。』と念を押されて、いざ登山口へ。
イノシシもいるようだし、ちょっと心細いです。

 現在の学校横に登山口  登山道ほぼ中間点 

途中娘から連絡で、船で久保浦海水浴場へ行って、そこで遊ぶとの事。
(坂と石段ばかりで、自転車での移動には限界があったようです)

ババはゆっくり妹背山への道を辿ります。
でも・・・照葉樹林の中の道は、記憶とは全然違う道(登山口そのものが違うから当然です)、お天気も今いちだし、一人なのでビクビクの歩きです。
イノシシの暴れたような形跡もあるし・・・。

中腹にある山伏神社   天然記念物のスダジイ

まぁ、何とか山頂に着きました。
展望台に登ってみますが、ハチがブンブンいます〜今日は展望もありません。
下のベンチでしばしお弁当を食べて休憩です。

妹背山山頂   展望は無し・・・

静かな静かな山頂。
(この山頂も記憶とは何となく違っていました)

アサギマダラやクワガタが、今日の”お友だち”。

 
 アサギマダラ  山頂の花

下山は元来た道を戻って30分でした。
ヘビさんにも遭いましたが、シマヘビでした。ホッ・・・。

 モロコシソウ  アキノタムラソウ  

下山後子供たちと合流しようと、久保浦への車道を行ってみますが、車道はなかなか遠いです。
結局自分は別行動として、また母島へと戻ります。
集落も歩いてみたいし。

 県道より俯瞰

車道を歩き、母島集落へと下って行きます。
変わっていない眺め・・・。

 
 今は無き住居(青い屋根の突先)跡を見下ろす  オニユリ 

朝に晩に眺めていた海・・・落日の時には九州の島影が見えたものです。

当時一番高い所にあった中学校、運動場はまだその上にありました。
平らな道は母島と弘瀬とをつなぐ道(未舗装)のみ、他は石段ばかり。
港から中学校までピアノを運び上げた時は(何人がかりかは覚えていませんが、ピアノは300kg程の重量だそうです)、皆さん泣いた、という話を聞いて感動した事を思い出します。

小学校も中学校も、各学年1クラスずつあった50年前、島は活気がありました。

 遠くに鵜来島  廃屋も多い集落

母島集落を歩いてみましたが、人の気配もなく、廃屋が目立ちました。
港周辺のお店に唯一自販機がありましたが、食べ物屋さんお土産屋さんはありません〜。
”お昼ごはんは母島で何か食べよう”なんて思っていたのでしたが・・・。
お素麺セットと自家製パンを、念のため持って来ていて良かったです!

 
 ひたすら静かな港  姫島 手前は三ノ瀬島

唯一のお店にいたのも同級生でした。
彼女と話している内に、もう一人同級生がやって来ました。
島では彼女たちは若い年代なのだそうです。

その内に子供たちも、久保浦から戻って来ました。
孫は、アミで結構大きなイカを捕まえたと喜んでいます。
長女はまだ未練たらしく港で釣り糸を垂らしています・・・。
『あんた兄ちゃんかと思うたら、姉ちゃんやったがかね〜』
なんて、港で屯しているおじさんたちに言われてる長女。30代にしてもう性別不明!

15時20分の船がやって来ました。
沖ノ島ともお別れです。短い滞在でした。

中1時代の思い出が強すぎる分、今回の沖ノ島は寂しかったです。
”今は昔”・・・子供は減り、時は流れて、もうかつての賑わいに戻る事はないのでしょうか。
雨も降り出し暗くなった空、遠ざかって行く母島港を複雑な思いで見送った事でした。